2000-10-10 第150回国会 参議院 選挙制度に関する特別委員会 第3号
その例といたしましては、第六回選挙、これは昭和三十七年七月一日に執行されておりますが、この際に松村秀逸議員、自民党の方でございまして、九月七日にお亡くなりになっているということで二カ月ちょっとたった時点でございます。そういう事例が一つございます。 それから、第九回選挙、昭和四十六年の六月二十七日執行でございまして、山本伊三郎議員がお亡くなりになっておられます。
その例といたしましては、第六回選挙、これは昭和三十七年七月一日に執行されておりますが、この際に松村秀逸議員、自民党の方でございまして、九月七日にお亡くなりになっているということで二カ月ちょっとたった時点でございます。そういう事例が一つございます。 それから、第九回選挙、昭和四十六年の六月二十七日執行でございまして、山本伊三郎議員がお亡くなりになっておられます。
幾造君 記 録 部 長 佐藤 忠雄君 警 務 部 長 渡辺 猛君 庶 務 部 長 小沢 俊郎君 管 理 部 長 佐藤 吉弘君 管理部副部長 浅井亀次郎君 渉 外 部 長 森 純造君 法制局側 法 制 局 長 今枝 常男君 国立国会図書館側 副 館 長 岡部 史郎君 ————————————— 本日の会議に付した案件 ○議員松村秀逸君及
○事務総長(河野義克君) 本院議員松村秀逸君には、去る九月七日、東大付属病院において胃かいようのため、また松野鶴平君には、去る十月十八日、日本医科歯科大学付属病院において糖尿性昏睡のため逝去せられました。まことに哀悼の至りにたえません。
○村山道雄君 議員松村秀逸君は、去る九月七日、病のため逝去されました。同僚議員としてまことに痛惜哀悼にたえません。 松村君は、明治三十三年熊本県に生まれ、早くより俊敏の才をうたわれ、長じて陸軍士官学校に入学、さらに陸軍大学校を卒えられて、大本営報道部長を初め、幾多の要職を歴任されたのであります。たまたま中国軍管区参謀長に在任中、原爆により重傷を受け、かろうじて一命をとりとめたのであります。
昭和三十七年十二月八日(土曜日) 午前十時五十三分開議 ━━━━━━━━━━━━━ 議事日程 第一号 昭和三十七年十二月八日 午前十時開議 第一 議席の指定 第二 会期の件 ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件 一、日程第一 議席の指定 一、新議員の紹介 一、故議員松村秀逸君に対し弔詞贈 呈の件 一、故議員松村秀逸君に対する追悼 の辞
○議長(重宗雄三君) 議員松村秀逸君は、去る九月七日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました。 ここにその弔詞を朗読いたします。 〔総員起立〕 参議院は議員正四位勲二等松村秀逸君の長逝に対しましてつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます。 ————・————
昭和三十七年十一月一日(木曜日) 午前十時三十分開会 ————————————— 委員の異動 九月一日 辞任 補欠選任 奥 むめお君 林 塩君 九月二日 辞任 補欠選任 川上 為治君 松村 秀逸君 吉田 法晴君 松本治一郎君 九月三日 辞任 補欠選任 松村 秀逸君 川上 為治君 松本治一郎君
昭和三十七年十月二日(火曜日) 午前十時三十九分開会 ————————————— 委員の異動 九月七日 委員松村秀逸君は逝去された。 九月十日 選任 宮澤 喜一君 ————————————— 出席者は左の通り。
議事に入るに先だちまして、本委員会委員として、長くその職責を果たされました松村秀逸君が、去る九月七日逝去されましたことに対し、委員諸君とともにつつしんで哀悼の意を表したいと存じます。 —————————————
昭和三十七年九月三日(月曜日) 午前十時十六分開会 ————————————— 委員の異動 九月二日 辞任 補欠選任 小西 英雄君 米田 正文君 九月三日 辞任 補欠選任 米田 正文君 小西 英雄君 谷口 慶吉君 松村 秀逸君 北村 暢君 阿具根 登君 吉田 法晴君 松本治一郎君 —————————————
昭和三十七年九月二日(日曜日) 午後一時五十一分開会 ————————————— 委員の異動 九月二日 辞任 補欠選任 松村 秀逸君 谷口 慶吉君 松本治一郎君 吉田 法晴君 ————————————— 出席者は左の通り。
石原幹市郎君 大谷藤之助君 栗原 祐幸君 源田 実君 小西 英雄君 小柳 牧衞君 塩見 俊二君 下村 定君 野知 浩之君 林田 正治君 松村 秀逸君 村山
病気のため、田中清一君、野村吉三郎君、松村秀逸君、赤松常子君から、また、海外旅行のため山口重彦君から、いずれも会期中請暇の申し出がございました。いずれも許可することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
委員長 河野 謙三君 理事 石原幹市郎君 下村 定君 鶴園 哲夫君 山本伊三郎君 委員 松村 秀逸君 伊藤 顕道君 平林 剛君 横川 正市君 安田 敏雄君 高瀬荘太郎君
委員長 河野 謙三君 理事 石原幹市郎君 下村 定君 鶴園 哲夫君 山本伊三郎君 委員 上原 正吉君 大泉 寛三君 塩見 俊二君 一松 定吉君 松村 秀逸君 吉江
委員長 河野 謙三君 理事 下村 定君 山本伊三郎君 委員 上原 正吉君 大泉 寛三君 杉浦 武雄君 徳永 正利君 松村 秀逸君 米田 正文君 高橋荘太郎君 国務大臣 国
委員長 河野 謙三君 理事 石原幹市郎君 下村 定君 鶴園 哲夫君 山本伊三郎君 委員 塩見 俊二君 徳永 正利君 松村 秀逸君 横川 正市君 田畑 金光君 国務大臣 郵
杉浦 武雄君 新谷寅三郎君 木内 四郎君 石原幹市郎君 宮澤 喜一君 吉武 恵市君 林屋亀次郎君 小林 英三君 平井 太郎君 中野 文門君 堀本 宜実君 村上 春藏君 鹿島 俊雄君 植垣弥一郎君 赤間 文三君 青田源太郎君 林田 正治君 松村 秀逸
委員長 河野 謙三君 理事 石原幹市郎君 下村 定君 鶴園 哲夫君 山本伊三郎君 委員 塩見 俊二君 徳永 正利君 一松 定吉君 松村 秀逸君 吉江 勝保君 横川
委員長 河野 謙三君 理事 石原幹市郎君 下村 定君 鶴園 哲夫君 山本伊三郎君 委員 上原 正吉君 塩見 俊二君 一松 定吉君 平島 敏夫君 松村 秀逸君 村山
委員長 河野 謙三君 理事 石原幹市郎君 下村 定君 鶴園 哲夫君 山本伊三郎君 委員 小沢久太郎君 木村篤太郎君 徳永 正利君 一松 定吉君 松村 秀逸君 村山
○松村秀逸君 岸裁定に右へならえをしたというお話でございますが、岸裁定の場合は五十九才が一万二千円据え置き、六十才は一万五千円、ベースにおいて、三千円の差でございましたが、そのときすら五十九才以下の間には不満がないじゃなかったのでありますが、今度は六十才以上が二万円、それから五十九才以下は一万二千円ベースということになりまして、ベースにおいて八千円の大きな差がついて参りました。
○松村秀逸君 御説明の趣旨はよくわかりました。御存じのように、公務員給与は今お話もあったように、逐年漸増しつつあります。恩給のほうは、ともすればいろいろな理由もございましょうが、引き離されがちになりますから、なるべく均衡がとれますように、重ねて御努力をお願いいたしたいと思います。
○松村秀逸君 さっき総務長官から、なるべく公務員の給与と均衡をとっていきたいということでございましたが、私もその点は非常に同感でございます。今度公務員の給与は二万七千円になった。遺族、傷痍軍人等の扶助料が二万四千円、それから普通恩給が二万円と昇格されましたが、その根本の理由はどこにありますか。それを明らかにしてもらいたい。
委員長 河野 謙三君 理事 石原幹市郎君 下村 定君 鶴園 哲夫君 山本伊三郎君 委員 井川 伊平君 小沢久太郎君 松村 秀逸君 一松 定吉君 吉江 勝保君 高瀬荘太郎君
委員長 河野 謙三君 理事 石原幹市郎君 下村 定君 鶴園 哲夫君 委員 上原 正吉君 勝俣 稔君 木村篤太郎君 中野 文門君 鍋島 直紹君 一松 定吉君 松村 秀逸